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今までの私なら、自分で選んだ事に全く責任を持たず、全てを店や他人のせいにしていた。


8月(2008)、フランスの中央部に位置する山の多い地域、オーヴェルニュ地方に行ってきました。この旅がきっかけで、私はあることに気が付きました。今回は、そのお話についてです。ある日の夕方、レストランでフランス人のあるご夫婦がメニュをじっくり見ている光景を見て、私はハッとしました。そこから得た事は、「自分でじっくり考えて、どれにするかを選択して決める事が大事。」ということです。「じっくり考えて決めれば、後からどんな不都合な事が起っても、他人のせいにしないでその全てを自分で受け止めることが出来る。」という結論が出てきたのでした。別の言い方をすれば、「選ぶことは、責任も伴う。」ということでしょうか。

 

では、どうしてそう思うようになったのかという思考過程をこれから書こうと思います。「人のふり見て我がふり直せ。」という諺が日本にはありますが、日本を離れて文化や価値観が全く違うヨーロッパの国々にやって来ると、また何かと気付かされる事が多くて、とても勉強になっています。


前菜で多く登場するのは、写真のようなパテ・ド・カンパーニュです。これは、牛や豚の内臓を使っているので、コレステロールも高いです。

レストランに行く時は、当然ながら空腹の状態です。だから普段よりも冷静さを失いがちです。どうしても何でもいいから早く食べたいとか、早く飲みたいという欲求が幅を利かせます。それなのに先のご夫婦は、20ページもあろうかというメニュをじっくりと見ています。そして、二人で話をしています。お料理の他にどんな飲み物にするかも話し合っています。結局、彼らがどんな食事にするかを決めるまでに10分以上あったと思います。そして、レストランの人が注文を聞きに来たのは、もっと後のことでした。席に着いてから最初のお料理が出てきたのは、実に30分以上後のことでした。日本でこれほど時間がかかっていたら、待ちきれない人が続出すると思います。しかし、ここフランスでは平均的な時間の様に私は思います。日本だったら・・・。と考えると恐ろしい光景が見えてきます。シビレを切らして、「すみませーん。まだですか?」とあちこちのテーブルから店員を呼び始めると思います・・・。

 

では、「どうして彼らフランス人は、こうも時間を掛けてお料理を選んでいるのか?」と考えますと、"選択することは、大きな自己責任を伴っている。" という認識が彼らにはあるのだと私は思います。口に合わないもの、持病などで食べてはいけないもの、その日の体調に合わせてどの料理にするかを自分と向き合って考えているのだと思います。そして時には、店の人にメニュの詳細を聞いて確認したり、自分の好みを知らせてから、それに合うお勧めのお料理を尋ねて、最終結論を自分で出しているのだと思います。(ホールの人は、単に客が決まった注文を書き留める役ではなくて、客と一緒に考えてどれにするかを決めるお手伝いをする役なのですね。)

 

そうした過程を踏んだ後だから、出て来るお料理が自分の嗜好から大きく外れることはなくなり、いつでも美味しい食事を楽しんでいるのだと思います。「おまかせで!」なんて言って、店の人に任せっきりにしない姿勢がそこにはあるのです。


鳥の骨付きもも肉のリゾット添え。ご飯がスープを吸っていて、美味しかったです。

私はこれまでの自分のレストランでの態度を思い出しました。じっくりとメニュを見もせずに簡単に決めていました。面倒くさいからと辞書を引くこともあまりしていませんでした。何年か前のフランスの旅でのある夕食時、牛肉の料理だということしか分からないままで注文したら、牛肉のミンチが皿一杯に盛ってありました。それは真っ赤な生肉でした。とても驚きました。もちろん気持ち悪くてほとんど食べる事が出来なくて残してしまいました。とてももったいないことをしました。そういうことをこれまでに何度となく繰り返してきたのです。

 

食べ物を残すだけで終わればいいのですが・・・、あの頃の私は、特別に根性が曲がっていたので、そういう料理が出されると、100%店のせいにしていたのでした。だからこんな態度や考え方をしていては、幸せを感じたり、幸せになることは無理でした。だから、いつも良くない事があると、他人のせいにしては自分だけが助かり、いつも不満顔をして暮らしていたのだと思います。

 

でもこの時(8月2008年)、私は確信しました。そもそも生の肉が出て来るのは、それを自分が選択したから。誰のせいでもないのです。メニュは、当然日本語で書いてないですが、辞書は美奈子店長が持っていたし、店員さんに聞く事だって出来たのです。それをあえてせずに、腹が減っているという理由だけで、早く食べたいという欲求だけで、何も考えずに選択したのは、私自身なのです。だから、100%自分に責任があるのです。空腹を我慢して、じっくりとメニュを見て選んでいたあのご夫婦とは、比べものにならない位、努力をが足りなかった私なのです。つまり、私の取った行動は、軽率としか言い様がありません。また、まさか店が生の肉なんて出さないという甘い予想もあったのだと思います。この様に軽率な選択であっても、その責任が自分にあるという心構えがあるのならマシですが、私の場合はその責任すら感じてなかったことが、大問題だったと気付いたのです。


「どんな事があっても、どんなことが起こっても、元はといえば、自分がそれを選んだ事が原因。」と思えるようになったら、いろいろな事に不満が無くなるのではないかとも考えました。

 

数あるレストランの中からここを選んで自分の意思で中に入った。そして、メニュを見て自分で何を食べるかを選んで決めた。この事が大切なことで、この「自分で選んだ!」ということに、これから起る事に対する全ての責任があることを自覚しました。

 

だから、これからはもう他人のせいにすることはありません。また、何でもいいから何て適当なこともしなくなりました。例え適当に選んだことであっても、その結果を100%自分の責任として受け止めなければならないと思うと、軽はずみに選ぶことが出来なくなります。でも、こういう姿勢であらゆる選択の機会に臨めば、どんな結果になっても人を恨むことも他人のせいにすることも無くなり、気持ちが晴れ晴れとしてきます。良かった時は喜び、また熟考して選んだにも拘らず残念な結果が出ても、次に生かそうという気持ちになるのです。


「選ぶことは、責任を伴う。」この事を常に肝に命じておけば、色々な場面で、前向きな姿勢になれます。私が思い当たる事は、いろいろありました。例えば、美奈子と結婚しようと決めたこと、彼女を選んだことは、私です。だからもう、自分が選んだ彼女を自分同様に誇りに思える様になりました。チーズマーケットを始めようとしたもの私です。だから、この仕事に誇りが持てます。でも、サラリーマンが酒場でよく言っている愚痴は、残念です。その会社を選んだのは、その愚痴を言っている本人です。自分が選んで入った会社なのに、ちょっとうまく行かないと会社の悪口を言う。これは以前の私と全く同じです。プラスにならない事を言うくらいなら、私がこの会社を良くしようと思い、一所懸命に仕事をした方がよっぽど良いと思います。自分が選んで入った会社に誇りを持てないのは、自分の選択を否定しているのと同じです。

 

もう一つ例を挙げれば、・・・。「見知らぬ土地で入ったレストランで食べたお料理が美味しくなかった。」と思うことは、個人の自由です。そう思うことを私も否定はしません。けれど、そのレストランを選んだのは自分自身なんだという事実が頭のどこかにあれば、一方的に相手だけを悪く言うことはできなくなります。味覚というのは、個人的な嗜好ですし、お客とコックさんの味覚にずれが出ることはあります。それならば、うす塩味にして欲しいとかといった自分の嗜好を予めホールの人に伝えておけば、その差は縮められるのです。 そういう努力をしないで、出て来たお料理が自分の口に合わなくても仕方のないことかもしれないと今の私なら理解できます。自分で店を選んだことを忘れ、美味しく無かったと他人に言いふらしたり、挙句の果てにインターネットでそのレストランの悪口を書き込むなんて事をした人がいたのなら、全く「愚か」としか言いようがありません。とても見苦しいです。「美味しくなかった。」と思うだけで気持ちが収まらない。抑えきれない。どんどんと怒りがこみ上げて来るのは、心が病んでいると思います。また、自分の言いたいことは言って他人を傷つけるくせに、自分の名前は明かさない。いや、反撃されるのが怖くて明かせない。人からは傷つけられたくない。とても卑怯です。こういう人は、以前の私同様に自分が選んだ責任を全く自覚していません。こんなことをしている間は、以前の私の様に身近にある幸せを感じることは困難です。

 

自分の親を選ぶことは出来ません。しかし、それ以外の多くは、自分自身で考えて、選んで今まで生きて来たのです。進学先、就職先、結婚相手、友達、買い物、食事、旅行、レストラン、取引先・・・。そのどれもが自分で考えて選んで来たのです。「これら全てを自己責任を伴って自分の意思で選んで来たんだ。」と自覚できれば、そうした人や物に対して、もっと愛着や誇りが持てると私は気付きました。そして、自分の出会いや選択した事を素直に信じる心を持とうとも思いました。

 

私にとって旅は、まさに自分自身を見つめ直す絶好のチャンスだと感じています。自分が選んだ美奈子とこれからも仲良く楽しく、少しでも長く一緒に暮らしたいと思います。



今までの私なら、自分で選んだ事に全く責任を持たず、全てを店や他人のせいにしていた。