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他人と比べていては、心穏やかに暮らせない。比べるのは過去の未熟な自分とだけにすればいい。



以前の私なら他人と比べて、勝ったとか負けたとか思っていました。また、車を運転していても他の車に追い抜かれるのは大嫌いでした。だから、スピードを出しては、事故を起こしたり、違反を繰り返す危険なドライバーでした。どうして自分ってこうなんだろう?と事件を起こす度に反省しましたが、直りませんでした。何に対しても他人と比べることが多かった様な気がします。もちろん、仕事だって、チーズ専門店が札幌で出来ると気になったりもしていました。個人的には、他人から若く見られたいとか頭が良い様に思われたいとか、優しい人に見られたいとか、カッコいいと思われたいとか、・・・その欲望は切りがありませんでした。そして、そんな自分が嫌で堪らなくなり、一体どうしたらもっと浮き沈みが無くいつでも、妻の美奈子を「みーこ」と笑顔で呼べるようになるのかと、自分の内面を見直すようになりました。

 

すると分かった事がいくつか出てきました。以前、別のコラムで書いたように私の場合は、幸せを感じて生きていく為には、日常生活からずっと心の安定が必要だと気付きました。いくら美味しいものが家にあっても、いくらふかふかの布団があっても、悩みや不安があるとおいしいと感じなかったり、安らかに眠れないのです。また、大きな家や高い車やたくさんのお金があっても心の安定にはつながらないと思います。そうです、物が豊かなだけでは大きな意味は無く、決して物が心を豊かにはしてくれない。物の豊かさだけで幸せを感じることは出来ないのです。では、幸せを感じるには?と言えば、「毎日いつでも落ち着いて暮らしていけること。」だと悟ったのです。つまり、大まかに私の進みたい道が見えてきました。では、一体どんな考え方や心構えが持てたら、そうした心の安定が得られるのかと次に考えました。


多くの人から頼りにされている・・・そんな人物に感じました。ゴットファーザーです。


すると、私の場合は、勝負事に関心を持ったり、他人と自分を比較しないことが心の安定につながると悟りました。まずは勝負事について、お話したいと思います。以前、東京の江戸川区の清新第二中学校で理科の教師をしながら、サッカー部の部活を指導していた私は、それ以来サッカーが好きになり、サッカーの日本代表の試合があると、必ずその中継を見ていました。ワールドカップも大好きでした。ひいきのチームが勝った時には大騒ぎをして、負けた時はしゅんとして落ち込んでいました。また、時には強い怒りが込み上げて来て何かに八つ当たりをしたこともあったと思います。また、サッカーの前はプロ野球も好きでした。同じように勝った時と負けた時で、心が大きく揺れ動き、とても心の安定なんて在り得ない生活を長年送っていました。教育の仕事も順調で楽しかったので、それだけなら幸せのはずでした。でも、家に帰ると、スポーツを見て興奮したり、落ち込んでいる自分がいました。また、部活動の試合でも心が大きく揺れ動きました。思ったように選手が動けないと怒ったりもしました。「勝つことが大事だ。」とか「勝つしか道は無い。」なんて今では絶対言いたくない言葉を生徒に言っていました。

 

そして、2年ほど前、美奈子店長が私にふと、「スポーツって駄目だと思う。」と言ったのがきっかけで、私の考えが大きな曲がり角を迎えることになりました。その時、彼女は詳しい理由を私に言いませんでしたが、その言葉が仕事をしていてもネットを見ていても、ふと頭をよぎるようになっていったのでした。そして、数ヶ月が過ぎた頃、私ははっきりと彼女が言った言葉に対して、自分の考えが確立しました。「サッカーや野球の様なスポーツは、勝ち負けを決める為にやっている。それは、まさに自分と他人を比べる行為だ。」と。と同時に、「必ず喜ぶ人たちと悔しがる人たちが生まれる。」と。言い換えると「幸せを感じる人が生まれる一方で、同じ数の人だけが不幸を感じている。」と。だれもが皆幸せになれる世界なんかじゃないんだとはっきり意識したことが蘇ります。その時私は、これは何となく嫌だなと思いました。こんな世界じゃなく、誰もが皆幸せを感じられる世界を探し、そこに身を置いた方がいいんじゃないかと。そして、こうした勝ち負けの世界の延長線にあるものは?・・・・・そうです!「戦争」だと。つまり「スポーツは戦争と同じ事を目的としているんじゃないか?」とはっきり意識しました。陸上の100m走みたいに時間という絶対的なものさし(記録)と自分の力を比べるスポーツや登山、ダイビング、マラソンなどで単に過去の自己記録を更新したいという目標や考え方でやるスポーツなら人と競わないので良いです。新記録を樹立しても、負ける人が生まれません。(いや、若干一名、前の世界記録保持者だけは悔しがると思いますが。)でも、Aさんを絶対倒したいとか、Bさんには負けられないという類のスポーツや考え方で参加している人ややらずにただ見ている私にとっては、心の安定が永遠に訪れないだろうと思います。それは今までの自分の過去を振り返ると明白です。そして、私は今後こういう勝ち負けの世界から身を引こうと思ったのです。気持ちが興奮したり、落ち込んだりして、いつでも「みーこ」と呼べる心の安定を失いたくなかったからです。

 

次に他人と比べることについて、お話しましょう。以前の私なら、他人を見て私よりカッコいいとか、お金を持っているとか、高い車を持っているとか、そんな事で羨んでいました。自分が他人よりも劣っていると思うと、相手の別の部分であら捜しをして、その落ち込んで生じた心の穴を一人でせっせと埋めていました。また、相手が自分よりも劣っていると分かると、イイ気になっていました。そういう気持ちや行動が出るのは、まるで自分がいる位置を確かめたかったからなのでしょうか?同じ年齢の他の男と比べて、自分は偏差値がいくつなのかが気になっていたんだと思います。でも、こんな風に他人の事が気になったり、他人と自分を比べる気持ちがあると、心の安定は得られません。そして、ついに思いました。「あーそうなんや、これから先もずっと他人と比べていたら、気持ちがいつになっても、上がったり下がったりするからもう止めよう。」と。優越感も劣等感も持たないで済む世界で暮らすにはどうしたら良いかと言えば、これから先も自分を他人と比べない事しかないと結論が出たのでした。


沖縄のマンゴー農家の方々。左から熱田守さん、やぎ汁をくれた孝子さんのお友達、そして孝子さんです。


そして、もっといいアイデアが浮かびました。「そうだ、自分を比べたいのなら他人とじゃなくて、過去の自分とだけ比べればいいんだ。」という発想です。これなら歳を取ると共に確実に実力が上がって行くので、うれしいと思うことが常に増えていきます。私は、歳を取る事はとても素晴らしいと再認識しました。日本人の多くは、歳を取る事をマイナスに捉えている様ですが、私はそれが人生を駄目にしていると気が付きました。もちろん、老化という問題はありますが、それ以上に人は努力をすれば、いろいろな能力が上がり、そのマイナス面を補うに余りあるものが生まれます。「もう、私はおばさんだから。」なんて言う人には、私は魅力を感じません。そんなことを言う前に、続けて自分を磨くことをすればいいのにと思います。私は配達の時にイタリア語のCDを聞いています。もう3年以上になりますが、ゆっくりですが確実に上達しています。すると、家でも勉強したくなります。そして、ついに「勉強は最大の娯楽だ。」という哲学が自分の中に生まれました。勉強が面白いと思えるようになって、本当に幸せです。独立した36歳からこれまでに私は自分で出来ることが沢山増えました。簿記の勉強をして会社の経理を会計ソフトを使って自分で処理できるようになりました。野菜の育て方も上手になりました。鰹節やじゃこを使って出汁をとり、山菜の煮物も作れるようになりました。もちろん、チーズの管理の仕方も上達しました。こうしてお客さんからおいしいねと言われる事が多くなりました。10年以上前のあの頃、そうですスポーツ中継に釘付けになっていた頃、今のこんな自分は想像すら出来ませんでした。一年一年自分が成長していることが実感できるのです。

 

私の近所の友達、浜田さんは80歳をゆうに超えていますが、今年も収穫にはあと3、4年はかかる葡萄の苗を買ってきて植えました。「もう歳だからおしまい。」なんて発想は彼にはありません。戦中戦後の時代に生きた方なのに、ものすごくいい考えをお持ちです。その一つは、「夫婦は常に一緒に行動すべき。」という驚くような素晴らしい哲学者なのです。「亭主元気で留守がいい。」なんて冷めた関係の夫婦とは真逆です。毎朝5時に起きて、奥さんと一緒に散歩をしています。浜田さんの気持ちは、仕事に疲れている現役世代の人たちよりもずっと前向きでエネルギーに溢れているのです。こういう人を目標にすればいいんだと私は思いました。こういう生き方をしている人は、歳を取る事を怖がっていませんし、マイナスだなんて思っていません。浜田さんも、歳と共に出来ることが増えていると頭で意識しているかしていないかは聞いたことがないので分かりませんが、頭か体の別の部分で感じてるから、それも励みにもなっているんだと思います。

 

私が付き合っている飲食店さんのオーナーやコックさんにもこういう人が多い気がします。同じ業態のライバル店、例えばイタリアンの店が近くでオープンしても、何ら影響を受けない独自のスタイルを確立している事が多いです。だから、たとえ売り上げが不振な時があっても、景気のせいにしたり新規に出来た他店のせいだなんてぐちることは無いです。「自分は自分。」自分がいいと思っていてくれる人だけが店に来てやっていければそれでいいと。だから、値引き競争にも参加しません。自分の店が他店と競わないことで、常に店内は安定した空気が漂い、落ち着いて心地よく食事ができます。逆に自分の意に反して他店を真似て値引きをしたメニュに変えれば、店側の心は落ち着きません。何故なら利益が減った分だけ、お客を沢山入れて回転させたいと力が入るからです。そこで、「2時間以内でお願いします。」何て言ってしまうのです。言われたお客さん達は当然落ち着かなくなります。だから、他人や他店の影響を受けない独自の世界を持つことで、いつも自分も相手も心の安定が保てて良いのです。

 

以前の私の様に他人と比べることで、自分の位置を確かめたいと思う気持ちがある様な人や会社や店とは距離を置きたいと思うようになりました。どういうことかと申しますと、コンテストに出て金賞を取ったお菓子だとかワインだとアピールする行為です。他社に勝つことで、それを「売り」にするやり方というか哲学は、信じられません。他人と比べるコンテストに参加しくても、今自分が持っているお客さんに対して地道に誠実に仕事をすれば、分かってくれる人は徐々に増えてくるのに。そういう長い時間が待てないのです。早く多く広く知られたいという欲望が強いのです。売れれば相手はだれだって構わない・・・・まるで以前の私と同じです。フランスにチーズの仕入れに行っても、やたらとトロフィーや賞状を飾ってある人のチーズは買わないことにしています。逆に「人と競わず我が道を歩き飾らない生産者のチーズは、値段も安くてしかも美味しい。」というのがこれまでの経験から出た一つの真実です。

 

では、100%誰もが幸せになれる世界ってなんだろうかと考えたら、その一つに、「美味しいものを分け合う世界」があると私は気付きました。これなら勝つ人もいなければ、負ける人もいない。みんなが美味しいものを手に入れられて、笑顔になれる。なんて素晴らしいんだ!と思いました。私は、仲間がいることで大量に農家さんから果物を仕入れられます。だから、安く食べられる。みんなも新鮮なものを安く買える。うーん、この世界があったのかと心が晴れ晴れしたことを思い出しました。ちなみに今年の沖縄マンゴーは440kg、和歌山と愛媛のみかんは、500kg以上、大分の吉武喜代子さんの梨も2週間で100kg以上扱いました。美味しい世界に集う人の輪は、年々広がりつつあります。^^)私は八百屋さんではありません。一消費者です。


上原さん親子。長男の宜泰さんは、お父さんの手伝いを始めました。


私はもう学生時代に徹マンまでやっていたほど大好きなマージャンもしなくなりました。他人と勝負して勝つとろくなことがありません。何故なら「夢をもう一度」と勝利の美酒に酔った経験は、麻薬の様にもっともっとと次を求めたくなるから危険なのです。ひとたび「勝たないと幸せになれない。」という方程式が心を支配すると、次々に他人を倒さずにはいられなくなります。しかし、全戦全勝、ずっと勝ち続けることは絶対無理です。今度こそ負けないかとストレスも増していきます。日本代表の監督さんも、大変だなぁと思います。胃に穴があいちゃうよ。一方、負けると自信をなくします。私はマージャンは大好きだけど、人の手の内なんて全く気にしないので、何度も人に振り込みます。だからいつも負けるんです。そうすると気分が悪くなるんです。だからもうやらないのです。自分の性質がどんなものかよく分かったからです。勝つことで得られる喜びVS負けることで味わう悲しみ。半分半分でも私の場合は、魅力を感じません。だから、私の場合は、勝負事に近づかない方が自分の為だと悟ったのです。「例え100%負けたとしても、面白さや楽しさの方が余りある。」と思える人だけやればいいと。でも、これだけは言えます。「勝ち負けの世界でどれだけ時間とエネルギーを注ぎ込んでも、勉強の様な積み重ねは得られない事と、立ちたかったたった一つの頂点に居続けることもできない。」事を。そして、過度に興奮したり落ち込んだりして、落ち着きが得られないことが問題なのです。

 

そんな危うい勝ち負けの世界に浸るよりも、私の場合は自分の心を見つめ直し、また勉強や研究をして自分に出来る事を増やしたり、理想を追って生きたいです。争わなければ、それそれの人が自分のペースで自分の今まで生きてきた歴史の中で最高位に自分を高めることが出来るのです。私は政治家ではないし政治家になるつもりも無いですが、真剣に日本をよくしたいと思っていますし、やりたくても自分の事が出来ない社会的弱者に手を差し伸べたいとも思います。だから、お互いに競い合って序列を作る世界ではなくて、手を取り合えるような社会になればと願っています。こうしたことも含めて、これから先自分がどれだけやっていけるかどうかに私の最大の興味関心があるのです。そして、時々自分を過去の自分と比べて、成長した事を一人で「きゃー、嬉しい!」と満足すればいいのです。私にとって、どんな時も心が安定しているかどうかがすぐに分かる方法は、朝昼晩といつでも美奈子に「みーこ」と、にっこり呼べるかどうかなんです。私にもっとお金を稼いで欲しいんじゃなくて、いつでも一緒に美味しいものを食べて、一緒に心穏やかに過ごし、たくさん寝られることが彼女の一番の願いなのですから。(おわり)



他人と比べていては、心穏やかに暮らせない。比べるのは過去の未熟な自分とだけにすればいい。