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他人の評価を鵜呑みにしない。何を選択するかは自分の五感をもってして判断するのがいい。


今年(2008)の8月に行ったフランス・オーヴェルニュ地方。その旅から私は、あることに気が付いたと以前にこのサイトに書きました。それは、「自分でじっくり考えて、どれにするかを選択して決める事が大事。」という話です。「じっくり考えて決めれば、後からどんな不都合な事が起っても、他人のせいにしないでその全てを自分で受け止めることが出来る。」という結論でした。

 

今回は、その続きです。「では、自分で考えて決めるとは、具体的にどうすることなのか?」が、今回のテーマです。結論から言えば、「他人の意見や評価を気にせず、自分の五感を信じて選択する。」さらに、「”他人の評価”を鵜呑みにして決めるような生き方をしていては、歳と共に自分が成長するのは困難。」ということです。


サンネクテール・フェルミエを作るマルティーヌさんと美奈子店長。フランスやイタリアでは、日常生活で化粧をしない女性が多い気がします。

例えば私が、生まれて初めて行く高知や大分、愛媛、沖縄で美味しい食べ物を探そうとします。すると、一体どの農家(農家民宿)を訪ねれば良いのか?という疑問にすぐ突き当ります。その時、今の私なら自分が会ったことも話したこともない赤の他人のそれら農家に対する評価を全く信じませんし、参考にして選ぶこともありません。例えば、雑誌の記事やインターネットの書き込み、以前宿泊した人の評価といった事を知りたいとは思わなくなりました。なぜなら、他人の評価が自分の評価と必ずしも一致しないからです。感じ方は人それぞれ、千差万別です。そして、今の私なら、自分を見つめ直すことが出来たので、感じる力が付いて、その感じ方を信じて自分に合う物や人に出会えるようになったから、そうした他人の考えは不要になったのです。

 

つまりのところ、誰(農家)を選ぶのか?、何処(農家民宿)に泊まるのか?は、納得いくまで自分自身で調べたり考えたりしながら、自分の頭で結論を出すしかないのです。他人の評価に頼らず、どういう人なのか、どういう宿なのかをその農家や農家民宿のホームページを閲覧しながら、自分で見極めていくのです。そういう地味というか時間の掛かる事をしないで、自分が知らない赤の他人の評価を鵜呑みにして簡単に決めていては、自分自身の中に考える力が身に付いていかないのです。でも、以前の私なら、他人の意見や評価を鵜呑みにしていました。見知らぬ土地にあるホテルを選ぶ時も、宿泊した客のコメントで判断していたのです。でも、こういうことをやっていた当時の私は、充実した日々を送ることは出来ませんでした。自分の思考過程を大事にしていなかったのです。自分だけの考え方を持つ事が出来ない・自分で判断することに自信が持てない人間だったのです。

 

会ったことも無い、どういう人間なのかも分からない赤の他人を信じることは今はもうしません。まして、それがその宿を批判するような内容だったらなお更です。悪口を宿や本人に直接言うのではなく、多くの人の目にとまるインターネットに書くとは、何という卑怯な人間なのか? 強い憤りを感じますし、その書いた人の人間性を強く疑います。そういう卑怯な人間の話を聞いたり・信じることは、自分自身も同類の人間になる。と気が付いたのです。だから、今の私なら他人の評価を全然あてにしないし、鵜呑みにもしません。もちろん、見たり読むこともありません。小中学校や高校生が、いわゆる学校の裏サイトの書き込みを見て、自殺したりする社会問題が起っています。でも、本人に直接言えない様な「奴」の言うことを真に受けけていけません。正々堂々と物が言える人間と付き合って行けば、それでいいのです。「若者よ、こんな理由で死んではいけない!」と強く叫びたいです。と同時に陰で悪口を言う根性の曲がった人間を強く非難したいと思います。

 

一方で私やチーズマーケットに対して正々堂々と意見を言ってくれる他人の話はよく聞きます。なぜなら、いい難いことを勇気を出して、しかも自分の時間を使ってわざわざ私に言ってくれているのですから。それはとても有難い事です。だから、真摯に受け入れて間違えていたのなら、直そうとします。でも、ネット上で書かれた他人の評価などは、こういう人の意見とは次元がまるで違います。自分の言いたいことは言いたいだけ言うくせに、実名を名乗らない。・・・こういう卑怯な人間の言うことは意味がありません。


マルシェで羊のチーズを売りに来た男性。マルシェでは、作っている人・売っている人の人間力が問われる場所と言えます。

今の日本では、残念な光景を目にすることが年々多くなってきています。一例を挙げれば、TV番組で紹介された生チョコレートや生キャラメルだからとか、「ランキングが一位」だからといった事を鵜呑みにして、簡単に自分が何を食べるのかやどんな本を読むのかを決めている人が多いことです。数多くの人が食べているとか、見ているとか、読んでいるという事が、一体自分にとって何の役に立つのか?、私にはさっぱり分かりません。私は小さい頃から、「他人は他人。自分とは違う。」という強い思いがありました。また、チーズマーケットの仕事をしたことで、多くの真実も知ることが出来ました。例えば「一度にたくさんの人が買うことが出来る食べ物って、それだけ大量に作っているんだ。」と簡単に予想がつくように変わりました。そして、出どころが不明なランキングを信じることもありません。2位や3位の本やランキングに入らない本は読む価値がないなんて、到底思えません。また、キャラメルを売るために何回もTVに出演して、そんなにもたくさん売りたいの?と、その姿勢に大きな疑問を感じるからです。

 

でも、仕事に追われて考える時間が無い現代の多くの日本人からすれば、今の私のように「どれにしようか」という思考過程を踏むことや、じっくりと一つの事を考える時間が持てなくなっているのだと思います。「どれを選ぶのかという事に余り時間を使いたくない。しかも、外したくない。」でも、こういう安易で勝手な考え方では、自分に合う食べ物や本や宿を選ぶことは、永遠に無理だと私は気付きました。もちろん、自分と共感できる人と出会えるなんて事は、起こりっこありません。私達が友達を選ぶ時、クラスの人気ランキングでは選びませんね。だからそれぞれの人に合った友達が誰にでも作れるのです。常に自分の五感を働かせ、自分の考えや嗜好・趣味を見つめ直し、自分に合う人を友達に選んでいるんだと思います。どの店にするとか、何処に泊まるとか、何を買うとかといった選択も友達選びと同じです。自分の頭で自分に合うものが何なのかを見つけて、どれにするか決めればいいのです。「全ての人に気に入られる・満足させてくれる友達」なんて居ないのと同じで、どの人が読んでも感動する本とか、どの人が食べても美味しい食べ物なんて、この世の中に存在しないのです。だから、自分の人生なんだから自分独自の考え方をまず大切にして、自分で決めていけばいいのです。他人の評価なんて気にせずに。

 

ではここで、私がネット店で買い物をする時にどうしているのかをお話しましょう。まずどこの店にするかを選びます。その為には、売り手の人と実際に会って顔を見てお話を聞くことが一番参考になりますが、ネット店ではそれは出来ません。でも、その売っている人や作っている人が一体どんな人間なのかは、ネット店に書かれている内容を見れば、理解出来ます。どういう点を重視して売っているのかを見極めるのです。値段なのか、質なのか、送る早さなのか、マイレージが付く事なのか、それ以外の事か?得意とする点は店毎に違います。また、先の例のように一人ひとりの消費者の嗜好の違いを考えもせず、売れ筋のランキングを勝手に作り、その商品を全てのお客に誘導する店なのか?或いは、「お客様の声」というコーナーを作って、それを利用して初めての客にその店を信用させようと企てているのか? 或いは、フランスで金賞を受賞したものだからという安易な理由で、そのチーズやワインを勧めている店なのか?或いは、「当店は、たくさんの雑誌やTVで紹介されました。」というのを自慢している店なのか?・・・こうした点について、注意深く読んでいくと、その店や主人の哲学が見えてくるのです。

 

そして告白すれば、先の良くない例は、以前の私もしていたのです。だから、こういう店側の人間の心理も分かるのです。こうした”すかしている”店も、そしてその当時のチーズマーケットのネット店も、一回限りのお客が多かったと思います。「手軽に早く買いたい。」という人が押し寄せましたが、売り上げ金以外は何も残りませんでした。早く送ろうと無理をしてチーズの質も下がっていたと思います。とても、空しい仕事を繰り返していたと思います。(一方、美奈子店長がやっている新琴似の実店舗は、開店当時からのお客さんがとても多いのです。)じっくりと考える事が出来る消費者は、美奈子店長がいる実店舗に向かい、こうしたネット店に近づくことはないと知ったのです。こうして自分の為に自分の時間を使えるようになってから、私は今までの自分を振り返ることが出来ました。その事で、自分の中にある良い点、悪い点を整理できて、今後の行き方を修正することができました。周りの動きや他人の目を気にしていては、何も出来ません。他人に流されていては、自分独自の生き方を見つけることは出来ません。まずは、自分とは一体どんな人間なのかを見つめ直し、そしてそんな自分の考えに共感してくれる人たちを探し、彼らと共に生きて行くことで、充実した人生を歩めるのだと思います。


フルムダンベールを作っているドミニクさん。「農家へいらっしゃい。」という取り組みをしています。

だから今の私は、こうした自分の弱さ・醜さをも知ってもらいたいと思っています。「こんな私に共感してくれるのなら、お付き合い下さい。」という思いです。^^)自分を隠して、あるは良く見せようという姿勢では、お客さんと腹を割った付き合いは出来ません。心を許し合うことも出来ませんから。自分の欠点を公開することは、マイナスばかりではありません。自分をさらけ出すことで、共感してくれる人にも出会えるのです。そして、不思議と正直に私自身の内面を告白することで、逆に落ち着いた良い人達がネット店や実店舗に何度も来てくれる様に変わってきたのです。

 

「家族や友人の助言や評価ならともかく、自分の知らない他人の評価を鵜呑みにして生きていては、自分に合う物や人に出会うことは、100%出来ない。」とはっきりと分かりました。だから、じっくりと時間を使い、最終的に自分の頭でよく考えた結果で判断していけばいいと思うように変わりました。そういう過程を踏んだ選択なら、今後起こることの全てを受け入れられるし、納得も出来ます。つまり、何も恐れることはないし、後悔も無いのです。そして、そうした思考を重ねる生き方をすれば、徐々に判断力が身に付くことも感じています。「簡単だから!」とか、「時間が掛からない!」とか、「多くの人が選んでいるから間違いなし!」なんてことで、考える事を放棄していては、思考が深まらないのです。そういうことを毎年繰り返すような歳の取り方をしていては、自分独自の判断基準は確立できないし、思考も深まらないのです。


自分の目の前にいる人が、どんな言葉を使い、どんな表情で話し、どんな仕草をするのか・・・。どんな服装をして、どんな物を身に付けているか。どんな物に興味があり、何を買っているか、何を食べているか。そうした事の一つ一つの全てが、その人がどんな人なのかを如実に表している情報だと私は思っています。

 

人生を楽しく生きていくためには、自分の為に時間を使い、その時間で自分自身を見つめ直すことしかないと私は考えています。そうすることで、以前の私の様に誤った判断をしていた事にも気付くことが出来るのです。自分なりの判断基準を確立し、そうした独自の基準でもって、何事にも自分の意思で選んぶんだという強い意志を持つが大切です。その為には、一日一日を大切にして、出会う人と向き合って相手の目を見ながらじっくりと話をする経験を積むことだと思います。人との出会いから、自分に足りないものが何なのか問い直し続けていくことが、成長につながるのだと思います。(おわり)



他人の評価を鵜呑みにしない。何を選択するかは自分の五感をもってして判断するのがいい。