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ヨーロッパ旅行では、見知らぬ人にこそ目を合わせ挨拶するのが安全

ヨーロッパへの海外旅行。もしも添乗員付きの団体旅行でしたら、言葉も常識も日本のまま旅が可能です。自分を変えなくてもそれなりに旅を楽しむことができます。しかし、便利なようで、日本人ばかりの旅では味わえないことも多いのでは?とも思います。私は個人旅行をお勧めします。行く前から自分で計画を立て、語学も学び、旅のルートを決めたり、ホテルの手配や鉄道切符の買い方などをマスターすれば、もう行く前から旅を楽しむことが出来ます。出来るようになることはとても楽しいです。そして、実際の旅では事前に勉強した現地の言葉をなるべく使うようにして、市民が集うマルシェ(朝市)などに出かけて現地の人と触れ合うことが出来れば、少しでも彼らの習慣や文化のを知ることが出来て、より思い出の深い旅になることでしょう。しかし、添乗員さんが居ない分、自分達で気を付けなければならないことがあります。一番に考えなければならないのは、「自分の身の安全は自分で確保する。」ことです。パスポートや財布の仕舞い方を言っているのではありません。心構えと申しますか事前に頭に入れておくべきことが、今回のお話なのです。

それは・・・。ヨーロッパでは、「見知らぬ人にこそ、きちんと会釈や目を合わせた挨拶をすることが大切。」ということです。しかし、これは我々日本人はとても苦手なことだと思います。近年は特に視線が合わない日本人がとても多いです。(人の顔を見る時間も無いのでしょうか?)見知らぬ人に挨拶するのは照れくさいといいますか日ごろから慣れていません。何故なら日本では母親の多くが自分の子供達に対して次のようなしつけをして育つことが多いからです。母は子供に言います。「知らない人と話してはいけない。」とか「知らないおじさんに付いていってはいけない。」・・という様なことを。(知らない人に付いて行くのはどの国でも駄目です。)しかし、これまで何度もヨーロッパを旅してきた私が思うには、こうした日本特有の躾は、ヨーロッパ各国を旅する上では邪魔で危険なことだと思いました。私はアジアの国々にはほとんど行っていないのでよく分かりませんが、ことヨーロッパに関しては、「見知らぬ人にこそ目を合わせて挨拶することが大切。」だと思います。
 
シチリア島のカストロノーヴォ村の桃農家のおじさん。90才を超えていますが力強い声でシチリア語を話されます。元気な年寄りが多いのがイタリアかもしれません。(OCT 2005)

例えば買い物をしようと衣料品小売店に入るとします。今の私なら店主や店員を見つけて、まず自分から挨拶をします。必ず目を合わせて、「こんにちは。」とか「こんばんは。」と現地の言葉で言います。日本社会では黙って店に入ったり、友人同伴でおしゃべりをしながら店員と目を合わせない人や時には飴やガムを口に入れたままで入店したりと全く自分達の世界のままの人を見かけますが、これは店側からすると余り感心されません。まず、店員の方に自分の存在を確認してもらい、怪しいものでは無いことを示す意味でもちゃんと目を合わせて、言葉を交わすことが大切なのです。また、「李下に冠を正さず。」という故事成語がありますが、万引きと疑われやすい行動も慎みます。店内では帽子を脱ぎ、大きな袋を持たず、前の開いたオーバーなどを着て歩き回らないなど何点かあると思います。商品も勝手に触らず、店員さんに一声掛けてからにした方が良いでしょう。日本では自由にと言いますか、店員に断らずに勝手に商品を触ることを認めているかのような店が多いですが、ヨーロッパでは慎んだほうがいいと思います。(商品が革製品以外の衣料品なら触ってもいい場合があると思いますが、食品は触ることで品質が変わってしまうことがあるので、勝手には触らないほうがいいと思います。)また、店を出る時にも、買っても買わなくても挨拶をするのが常識です。黙って入ってきて、黙って出るのは、店側に不信感を抱かせます。常にそこにいる店員さんとコミュニケーションを図りながら、お互いに気持ち良くお買い物をしたいと思います。その為にも入店時にきちんと挨拶をする事が相手の不信感を払拭する第一歩なのです。

パレルモ市郊外にあるニーノ・パッルカさんの工房の玄関にて。カメラを向けると職人さんが手を振ってくれました。コミュニケーションのとり方が上手です。(OCT 2005)
 
また、別の例をあげましょう。ホテルのエレヴェーターで自分が乗り込んだ時、或いは見知らぬ人が乗って来た時にも、会釈したり「こんにちは。」と挨拶することは大切です。ヨーロッパ大陸では何世紀もの長い歴史の中でいろいろな民族が様々な国を侵略したり、されたりを繰り返してきました。その結果、言葉も違えば文化も違う民族同士が一つの国家を形成しているのが今のヨーロッパ諸国です。そんな彼らが普段の生活の中で、見知らぬ相手が安全か危険なのかを瞬時に判断するための判断基準、それが出合った時にどう挨拶や会釈をするかという反応なのです。そうした歴史の中で挨拶は、相手に「自分はあなたに危害を加えません。」という意思表示をも意味しているようです。もしも言葉が分からないという単純な理由で挨拶をしなければ、相手に自分がどんな人間なのかが分からないままになります。また、目を合わさないでずっと階の位置を示すサインを見つめていては、相手は自分が安全な人間だとは認識出来ずに、緊張感を与えることになります。そんな状況でエレヴェーターという狭い空間を共有することで、相手に強いストレスを与えることになるのです。もちろん、それは自分にもストレスを生むことになるのです。

ヨーロッパ各地を旅する中で、挨拶をすることは相手の為というよりも、挨拶をした自分自身の為になるということが分かりました。これはまさに、「情けは人の為ならず。」と同じ発想ですね。しかし、一方日本国内では、挨拶が出来ないどころか、目も合わせられない日本人が増えている気がします。また、日本では目上の者に対して挨拶をするのが当たり前のような風潮もありますが、私はそんなことはないと思います。最初に挨拶した方が一歩前に出たようで積極性がでて相手も気持ちよくそれが自分にとっても気持ちよく清々しくなると思います。

最後にチーズマーケットの店頭にいらっしゃるお客さんの話をします。いらっしゃるほとんどの方は、「こんにちは。」と目を合わせて挨拶をされて店に入って来られます。これだけでも「まっ、素晴らしい。」と感じて余計にサービスしたくなります。人の心って単純だと思います。挨拶は相手の気持ちを良くする効果があることに気が付くと、挨拶の見方が変わると思います。また常連のお客様であればあるほどそうした挨拶をされる方が多いです。そうした方は状況を見極める力があり、落ち着いていらっしゃいます。どんなに混んでいても、じっと自分の順番が来るまで待っていてくれます。この仕事を創めたことで、こうした素晴らしい人達と出会えることが出来て私達は幸せです。そして、チーズマーケットにこうしたお客様がたくさんいらっしゃることに誇りを感じています。

国際感覚を身に付けるということは、英語やフランス語をマスターすることだけではなくて、自分自身に知らず知らずに染み付いた日本だけでしか通用しない常識を再点検することなのでは?と思います。そして、こうした外国の異文化を一つでも理解して、「郷に入りては郷に従え。」の精神で何でもやってみようという挑戦する心を持つ事が、良い旅につながるのではと感じています。


ヨーロッパ旅行では、見知らぬ人にこそ目を合わせ挨拶するのが安全