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「お客様は神様です。」が日本人を不幸にしている。



日本という国ほど、立場が変わる度に言う内容や態度が変わる国も珍しいのでは?と思います。これまでヨーロッパ各国を何十回となく旅してきた私には、多くの日本人の人への接し方が、ヨーロッパの人達とは明らかに違うのがとても残念です。そして、実はこれが日本人にとって大きな問題点の一つだと私は考えています。ズバっと言えば、立場毎にコロコロ言う事や態度が変わる事自体が、多くの日本人を不幸にしていると思います。そしてその中でも、昔ある演歌歌手が言った言葉、「お客様は神様です。」が、元凶の一つだと思います。この言葉の裏に隠された意味というか思想というか考え方が、多くの日本人を不幸にしているのです。

 

この「お客様は神様です。」の台詞に今まで振り回せれてきた日本人は、皆不幸になっていると私は気付きました。実は以前の私もその内の一人で、立場が違うと妙にへりくだったり、逆に威張ったり・いい気になっていたのでした。しかし、日本人の社会の中だけでしか暮らしていなかった私には、これが社会の常識であり、普通のことだと思っていました。さらにこの台詞は何と素晴らしい言葉だとさえ思っていました。でも、今は違います! 自分の取ってきた言動に後悔をし、大きな反省をしています。今回は、この台詞の持つ意味となぜこの言葉が良くないのかについて考えてみたいと思います。

 
高知県の四万十川町の農家民宿の庭に咲く美しくもはかない花。誰が見ていても見ていなくても、いつも同じ様に咲きます。

まず初めに、ヨーロッパ社会におけるお客(買い手)と接客をする店員(売り手)との関係についてお話をしましょう。立場が違う者同士ですが、お互いに自然体で接しています。簡単に言えば、普段どおりの人間対人間のお付き合いといった感じで、どちらが上とか下とかの態度や言動は微塵もありません。一例を挙げれば、スーパーマーケットのレジ係の人は、椅子に座ったままで、お客の目を見てボンジュールと挨拶をし、おもむろに商品を手に取り、バーコードを機械に読み込ませて会計をしています。会計が済むとお互いに「ありがとう!またね。」と挨拶をして分かれていきます。お客が途切れたら、単行本を取り出して読んでいる店員の姿も見かけます。それで成り立っている社会の大らかさと申しますか、ピリピリしていないゆったりとした空気がとても居心地のいい社会だと正直に感じます。でも、以前の私なら「この店員は態度が悪い!」とか、「座って仕事をするなんて客に失礼だ!」なんて思っていたのです。しかし、今はこう思うようになりました。こうした考え方をする事自体が、危険でかつ「自分から幸せを遠ざけたり、幸せを手放している。」と気付いたのです。

 

一体どういう事かと申しますと、「人は一人切りでは、幸せだと感じ得ない。」からです。つまり、幸せだと感じるためには、自分以外の人間とのつながりが必要なのです。確かに他人が居なくても自分だけがお金持ちに成ったり、欲しい物が手に入った時には、嬉しい気持ちにはなります。或いは、そのことを幸せだと感じる人もいることでしょう。しかしながら、それは大した幸せではないというか、実は家族や家族以外の他人、社会全体に何らかの役に立っていると実感したり、人から感謝されたり喜ばれたりする方が、余程大きな幸せを人間は感じるものです。つまり、人間が幸せを感じる為には、人とのつながりを避けていては在り得ないのです。それなのにこの台詞では、お客だからとか売る側だとかといった立場で人の間に垣根を自分から作ってしまい、相手と距離を置くような考えが、不自然でかつ変だと言っているのです。


ヨーロッパに来るとお客も店の人も同じ目線で付き合っています。同じ人間同士なのに、立場で上になったり低くなったする日本社会は私にとって理解し難くなりつつあります。

次に今の日本の様子を見てみましょう。スーパーに行ってもデパートに行っても、どんな店に行っても、「お客様は神様です。」にあぐらをかいた様なお客とそれを真に受けて恐縮する店員の上限関係が出来あがっています。「お客が上で売り手が下。」の様な雰囲気に満ち満ちています。店員が「いらっしゃいませ!」と声を掛けても、だれもしらんぷりの客達。友達同士であーだこーだと店員抜きでしゃべっては、勝手に商品に触っています。(店員と仲良くならないといい買い物なんて出来ないぞ!と思うのですが、・・・)そしてまた駅では列車が少しでも遅れれば、駅員に「会議に遅れた。どうしてくれるのよっ!」と文句を言う乗客。携帯電話が故障して電話帳などのデータが移せないと分かると、もう大変な剣幕で店員を怒鳴り散らし・・・などなど。

 

こうしたクレームというクレームが、日本中で毎日毎日気が遠くなるほどの数があちらこちらで噴き出しているのです。その対策として今では大企業は、お客様センターを設置して平謝り。そうした事が結局は日本の物価を押し上げている原因にもなっている事に誰も気付いていません。文句を言えば言うほど、物価が上がり、便利な物に囲まれた生活をしているにも関わらず、心が満たされず毎日ピリピリした気持ちで暮らすことになるのです。こんな考えの人間ばかりだと、どんなに働いても、どんなにお金を稼いでも、一向に幸せに近づけない人々で溢れかえってしまうのです。それが今の日本の姿なのです。

 

しかし、一歩引いて冷静に考えれば・・・・。実は幸せを感じられない最大の原因は、自分の中にあり、それは自分と他人は立場が違うということで、境界(垣根)を作ってしまう考えにあったのです。もう一歩踏み込んで言えば、「自分の周りにいる全ての人を同じ生きる仲間だと感じることが出来ない心の狭さ。」が、自分自身を幸せから遠ざけていたのです。つまり、「お客様は神様です。」という言葉の心理には、他人を「同じ人間として見る仲間意識」が欠如しているのです。お客を特別者扱いにしようとすること自体が、人を差別や区別するのと同じことであり、全く駄目な考え方なのだと思います。「お互い様ですから・・。」とか「助け合う気持ち。」が、この台詞に欠けているのがいけないのです。働く相手に向かって、「立って仕事をしろ!」と思ったり、言うのは、結局それが後から自分にも返ってくる事に気付いていないのです。つまり、自分が働く時にも、同じような厳しい目をした客に監視されるようになっているのが日本という社会なのです。だから、こんな考えの人間ばかりでは、お互いに監視し合って緊張が起り、窮屈で、まるでお互いにいじめ合っているようなものなのです。こんな人との接し方をしていては、悲しい・希薄な人間関係にしかならないと申し上げているのです。

 

先の駅員さんは、ずっとずっと駅員なのではありません。仕事が終われば一市民に戻るのです。列車が遅れたのは、この人のせいではないのです。しかし、仕事中に乗客から散々文句を言われたその人は、立場が変わり自分が客になって居酒屋に行けば、同じようにして注文した料理を運んでくるのが遅いと文句を付けるかもしれません。殴られて育った子供は、大人になるとまた自分の子供や回りの人に暴力を振るいます。こうして、「客はいつでも正しくて、偉いんだ!」と勘違いした日本人から負の連鎖が始まり、そのばい菌が仕事に従事する人たちへ飛び移り、そして更に取引先の会社で働く人に毒を撒き散らし、拡散していくのです。「立場が変わると簡単に人の価値や上下関係が変わってしまう。」という考えの日本人が大勢を占めることになり、それが息苦しい社会を形成しているのです。人間同士の横の関係がほとんど無くて、上下関係しかない社会構造が日本の弱点なのです。

 

もしも、ヨーロッパの人達の様に、「立場が変わっても、どんな人とでも接し方はほとんど変わらない!ぶれない!」という行動が出来たなら、そしてまたこの駅員さんも同じ町に暮らす同じ仲間なんだというような運命共同体のような考え方が出来たなら、もし何か問題が起きた時でも、文句を言うその言い方も今よりも少しは穏やかになるのではないかと思うのです。お客さんは、売り手に利益を与えてくれるから確かに有難い存在です。しかし、お客もお金を払うことで得られる新たな満足感をもらっているのです。お客は決して神様ではありません。目線が共に同じ位置の人間同士です。一緒に暮らす仲間なのです。売り手も買い手も同じ仲間!この目線を持てない事が、日本人を不幸にしている大きな原因だと私は思います。

 

こちらがお金を払っているのだからとか、もうお金を払ったのだから、予定通りの時間に商品が得られて当然だという横柄な気持ちがあると、幸せの一歩手前に隠れている大きな落とし穴に落ちてしまうのです。その穴はとても深いので、一度入るとなかなか抜けられません。私もこの穴にずっと落ちたままで何十年も暮らしていたのです。そして、他人のミスを見つけては、周りの人に毒を撒き散らしていたのです。

 

そうならない為には、どんな相手とでも、その親しさ加減でお付き合いというか接して行けばいいだけなのです。売り買いの立場の違いよりも人間を見て一定の尊重を持って接すればいいのです。そして、頭の片隅には、同じ時代に同じ日本という国で暮らす仲間だと認めれば、そうそう頭に血が上ることも無くなると思います。そして、出会いを楽しみ、多くの人と出会うことで自分を見つめ直し、向上していけばいいのだと思います。人は人の中で暮らしてこそ幸せを多く感じることができるのです。その為には、「お互い様」という精神の下、どんな人とも何とかして助け合って共に生きていくという前向きな姿勢が大事なのです。そうすれば、客だから偉いとか、売る側は頭を下げなければならないといった「立場で態度が上下に変わる。」ことも無く、いつでも誰に対しても同じ姿勢で向き合うことが出来るようになるのです。誰が現れても、自分の態度が常にぶれない事が大事なのです。

 

時間通りにきちんと到着する電車。それが当たり前のことだと、つまりそれが基準だと考えてしまうと、仮に事故などで列車が遅れると何か損したような、迷惑を掛けられたような気持ちで一杯になってしまいます。しかし、ダイヤ通りの運行が行われている陰では、ひどい労働条件で過酷な勤務を強いられている運転手達がいた事は、私を初め多くの乗客は知りませんでした。重大な死亡事故が起きて初めて、その過酷な労働に目が向くことになったのです。だから乗客だから文句を言えるというような態度ではなくて、乗客の人も「運転手は家族の一人だ。」ぐらいに考えられたら、少し列車が遅れたぐらいで文句を言おうなんて気が起こらなくなると思います。(死に至らしめられたら話は違ってきますが、・・・)そして、「お客様第一主義」なんていうのも、いけない考え方だと思います。それ自体は問題ないかもしれませんが、その文言を盾にされて働く人達が、苦痛を強いられるような仕事内容になってしまうのであれば、一体何のための主義なのか分からなくなります。こういう言葉を真に受けて無理をして働いてはいけません! もしも、多くの職場で多くの労働者が、「お客には絶対に迷惑を掛けられない。」という様な価値観に囚われていたら、もうそれだけでも息苦しい仕事や職場や社会になってしまいます。また、よく言われるのは、「日本人は細かいことにうるさい!」とか「野菜も果物も形や大きさや色が揃っていないと我慢できない。」というのがあります。こうしたお客の立場で我が儘を言う人が多いことも、日本社会において膨大な無駄を産んでいるのです。許容範囲が誠に狭い客ばかりなので、それに外れた物は、規格外にされ廃棄せざるを得なくなり、そうした多くの野菜や食べ物が無駄になっているのです。そして、また物価が上がっていくのです。


戦後日本は、日本人の物作りの技術力の高さと持ち前の勤勉さで、便利な物に囲まれて生活が出来るようになりました。生活水準も上がりました。しかし、個々の人間力といいますか、いや日本人社会の中での人と人の関係の希薄さ・横の繋がりの無さ・まとまりの無さには、寂しさを感じます。自分の事しか考えていないと言いますか、自分さえ良ければそれでいいような人が集まる社会になってしまっているのです。同じ民族なのに、上下関係ばかりの繋がりしかなく、立場が違うことでいがみ合い、助け合うどころか足の引っ張り合いをしているのが残念でなりません。もっと肩の力を抜いて、仕事をしている時もしていない時もどちらの面も見つめて、いつでもどこでも一人の人間として相手を思いやり、相手を尊重して行動していかなくてはならない時だと思います。立場というつまらない垣根をとり除き、横の繋がりを広げて手に手を取り合って助け合っていく社会にしていかなくてはならないと思います。(おわり)



「お客様は神様です。」が日本人を不幸にしている。